宇宙に委ねる前に
宇宙に全てお任せと言うタイプのスピにありがちな落とし穴がある。
願望や目標は要らない
計画も要らない
宇宙に全てお任せすればよい
実に簡単に言ってるが、一般人が簡単に至れるような境地ではない。
老子が言う無為自然は、貴方達のマインドの想像をはるかに超えている。
私はその境地に至ったと自称している者は、その大半が只の錯覚である。
アストラルの罠に幻惑されたり、宇宙の雑霊に乗っ取られて操られているだけ。
宇宙霊媒みたいなものだ。
未来のことを全然考えなかったら、この世の体験の可能性を狭めてしまう。
貴方がネットで、ある高級レストランを発見し、このお店、素敵。ぜひ行ってみたいと思ったとする。
だがそのレストランは高級店であり、人気も高いから、一か月前から予約する必要があった。
あなたは早速スケジュールを確認し、一か月先の席が開いている日を確認し、予約を入れた。
この行動には二つのポイントがある。
一か月先の未来のことを考えた。
スケジュールを確認したり、調整した。
つまり未来のことを考え、計画を立てたわけである。
だからその店で食事をするという願望を叶えることが出来た。
今のスピリチュアルの先のことは考えない計画を立てず、今の直観のみに従うという方針に囚われている人は、こういう体験をすることが出来ない。
つまり、この世における体験の幅を狭め、自分の可能性を縮小してしまうことに繋がる。
宇宙は我に対して、この世で生きるために必要な能力を授けてくれた。
当然それらの能力の大本は、宇宙そのものである。
我がこの世で、宇宙の目的に適う生き方をする為には、
自分の意志で願望や目標を作り、行動計画を立て、実行し、達成すること
が前提である。
それが結果的に、宇宙の流れに乗ることになり、サレンダーの境地への早道になる。
まずは個我としての魂の願望を存分に叶え、自分を十分に満たしてゆく。このプロセスがまず必要となる。
それを疎かにして、いきなり宇宙に全てお任せといっても無理である。
魂が満了した者のみに当てはまることなのだ。
最近の悟り系スピリチュアルの指導者は、読者や生徒たちの機根を読むことが出来ないため、不特定多数に無謀な道を説いている。
それは読者の魂のシナリオを無視した虐待行為
霊的犯罪である。
幸せに生きたければ、普通の人が普通にやってるような手段で十分なのだ。
特殊でおかしな手段に頼る必要はない。
スピにはそこに魂の願望というエッセンスが加わるが、現実面では一般大衆の行動と何ら変わることは無い。
直観のみに従う
先のことは考えず、今ここだけに意識を向ける
直観そのものは大切だし、先のことを考えない行動も楽しい。
だが、それが全てではないということだ。
柔軟性を忘れるな。
一つの方法に固執するのは無知に繋がる道である。
今のスピリチュアルがやたらマインドの思考のことを嫌い、直観のみ魂のみという排他的な方向に走るのは、ひとつの異常心理を表している。
プチカルトと言っても良い。
ノーマインドの道を説いているのに、実態はだけで良いという固定観念でマインドを一杯にし、その世界に依存している。
計画に縛られれば、今ここを自由に生きられなくなるとは只の言い訳なのだ。
計画とは守るために存在するのではない。
注意力集中力を散漫にせず、今やることはコレ明日やることはアレと頭をすっきり整理し、行動エネルギーを効率よく使う為のものである。
効率が良ければ、物事がスムーズに進む。
余計な労力を使わず、リラックスして集中できる。
生命エネルギーを大切に使うための智慧なのだ。
計画通りに進んでしまう人生は詰まらない。何が起こるか分からない人生こそ、スリルと新鮮さがある
だからマインドを捨てて、宇宙が与えてくれる予想以上のプレゼントを受け入れよう
こんな馬鹿げた教えを説く人は、真剣に生きたことが無いのだろう。
我の毎日を振り返ってみれば分かることだ。
普通の会社員なら、毎日決まった時間に起きて、決まった時間に仕事をしている。
昼食や夕食もほとんど毎日、同じような時間帯だろう。
ある意味、予想通り計画通りの毎日である。同じパターンの日が続いている。
だが、それ自体は何の問題もない。
大切なことは、そこにどれだけ命懸けのエネルギーを注いだか、どれだけ楽しんだか、ということだ。
毎日、同じ時間に食事をしても、それを楽しむことは十分にできる。
逆に、不規則な時間に食事をしたからといって、それ自体が喜びを増やす決定的な因子にはなり得ない。
毎日同じ時間だろうと、逆に不規則な時間だろうと、それ自体が重要なのではない。
そこに今ここの生命エネルギーをまっすぐに注ぐことが大事なのだ。
薄っぺらな精神性しか持っていない者は、その重要な軸を見落とし、無計画に行動する方が楽しいとか宇宙に任せるのが本道だという表面的な観念に終始してしまう。
先ほども言ったが、計画とは守るためのものではない。
計画を立てて行動しても、予想外の動きが生じる場合がある。
予想しなかったチャンスが舞い込む時もある。
そういう時は、過去の計画に執着せず、柔軟に軌道変更すればよいのだ。
時には計画にこだわらず、直観だけで動いた方が良いケースもある。
要は、どんな手段方法であっても、そのプロセスに命懸けのエネルギーを注ぎ、楽しめばよいだけである。
スピの知識を中途半端に齧った人は、直観だけで良いいや、計画的な行動こそ一番大切だなどと、たった一つの方法論に囚われてしまう。
その人の目に映る風景は、ものすごく狭いことだろう。
代理人河合さくら